C・S・ルイス『ナルニア国ものがたり』最終巻はいったい…

小学生の頃、親に買ってもらって何度も繰り返し読んだ本。衣装箪笥に入ったりとかよくやった。とても好きだったのだが、今になって見ると子供の時は色々と見落としていた描写が多い事に気づく。ネタバレ?全開なので未読のかたには申し訳ない。

映画は未見。いや、どうせ原作を先に読んじゃった人間からすればガッカリするのはわかってるから。「ロード・オブ・ザ・リング」も同じ理由で観ていない(「見ないほうがいいよ~」という忠告もうけたし)。これらに関しては子供の頃からの思い入れが強いだけに警告レベルが振り切ってるんだよなぁ。例外はハリーポッターぐらい?映画のできがいいんじゃなくて翻訳が受験英語の模範解答みたいなひどさなんで映像で見たほうがまだマシという…、

ナルニアの世界観

ここからネタバレ注意

表面上はニンフやドリアード・フォーンなどが出てきてギリシア・ローマ神話っぽいが、ベースはあくまでキリスト教である。今にして考えてみるとちょっと変な気がするんだが、ルネッサンス風の「ギリシア・ローマはヨーロッパ文明の原点だからOK」って事でごちゃ混ぜみたいな感じ?

ギリシア・ローマ神話の木や水の精は登場するけれど、それを生みだしたはずの神々は登場しないどころか存在すらしていない。6巻『魔術師のおい』でナルニア創造が描かれるがアスランが創造主といっていいみたい。神話の由来やエピソードを知っているとこれらの精たちの存在が揺らいでくる。

サンタクロースの来訪を祝うフォーンやこれらの精たちという図もよく考えると「あれ?」とひっかかる。東方の三博士としてやってきた面子が空海・玄奘・龍樹だったみたいな「あなた守備範囲違うでしょ」感とでもいうんですかね。

wikiによると「指輪物語」のJ.R.R.トールキンにこういった世界観のいい加減さをツッコまれたそうだが…。日本でいうと仏教にヒンドゥーの神々が組込まれてるけど誰も変だと感じないとか神社とお寺がごっちゃになってるのと同じようなものなんだろうかね。

アスランはこちらの世界では別の名前をもっているそうですが『ドリフターズ』で黒王様やってるあの方?のようですなぁ。アスランの父親の海の彼方の皇帝ってのはつまりそういう事な訳ですか。

ラストでナルニアのあった世界は滅びたけれども真のナルニアがあるからOK、となるのですが真のナルニアってのは要するに天国な訳ですね。3巻「朝びらき丸東の海へ」のラストで「アスランの国へいくにはひとつの川を越えなくてはならない」とあったがそれってつまりレテ川・三途の川じゃないですか…

南の大国カロールメンは見ての通りの中東系の国がモデル。この国については5巻「馬と少年」が詳しい。基本的に悪役担当で主神のタシ神も最終巻でわかるのですがかなりアレな神様です。いいのかそれで。

その他、ご近所のアーケン国や離れ島諸島、北の荒野、巨人の国やらあるのですが世界そのものは全編通してみると意外に狭い。

作者に何が……

何というか最終巻の「さいごの戦い」だけ趣きが違って作者の人生に何があったのか心配になる。話のトーン自体も暗いんだが主人公達の扱いがね…。

『ライオンと魔女』で主役を張った4人兄弟姉妹のうち、お姉さんのスーザンはナルニアを忘れてしまった。しかも、ピーター、エドマンド、ルーシィその他各巻の主人公達は全員列車の事故で……

まあ、富野監督でいうと「∀ガンダム」や「キングゲイナー」見てたら最後だけいきなり「イデオン発動編」になったみたいな感じと思ってくれて間違いない。描写そのものはそこまで露骨じゃないんでトラウマになったりはしないけれど。

「さいごの戦い」の時代は日本でいうところの”末法の世”で終盤の展開と描写はまんま”最後の審判”。しかしナルニアという”国”が滅びたのはわかるが”世界”ごと滅びた理由が今イチわからない。白い魔女の故郷「チャーン」は年老いた世界で自然消滅だが、ナルニアの場合は世界が老いているという描写はなかった。

考えられる理由としてはナルニアびとの不信心と堕落に怒った神(アスランの父か?)がソドムとゴモラのように滅ぼしたぐらいなのですね。カロールメンは平常運転だしアーケン国は悪い事してないし一神教の神としても不寛容にも程があるぞ、と。これってSFだったら「この世界は失敗だった」とかいって創造主がリセットかけちゃう展開やね。


リア充は扱い悪い…
どうにも最終巻のC.S.ルイスからはむせかえるような”非モテ”臭を感じてしまうのだわ。

宗教的には現世よりも来世や天国で楽しく暮らすほうが幸せというのはよくある考えかたで珍しくもない。でも現代日本のネット文化に毒された身としては「3次元より2次元」「MMO中毒者の言動」みたいに見えてしまうのですな。事実上の全滅エンドでもあるし、「みんな天国で幸せに暮らしました」をハッピーエンドといっていいものか。

スーザンは”リア充”になってお洒落などしか頭になくナルニアの事はごっこ遊びだったという記憶になってる。みながスーザンの文句をあれこれ言っているところは共感できなくもないんだが、「海月姫」の尼~ずの会話みたいだよなとも思ったり。オタク集団が脱オタクした人の悪口を言ってるように見える。ペベンシー兄弟姉妹だけでなく両親も列車の事故に巻きこまれてるので、スーザンは天涯孤独の身としてこれから生きていく事になるんだが全く心配されてない…。

子供の頃は特に何とも思わなかったけど今読み返すとけっこう酷いような…。この辺の天国組と現実に残される側の扱いに屈折したものを感じちゃう。前巻までは子供にお薦めできるような感じの教訓やら何やらが多かった。でも「さいごの戦い」の場合はストレートに受けとったらオタクへの道を突き進んじゃうような…。しかもそれって客観的に見たら幸せじゃないってどこか自覚してるような節が…。

宗教と日本におけるオタク・引きこもり界は同根だよな、と思ったり。

 
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