東村アキコ『かくかくしかじか』美大受験解説

話として面白いだけでなく美大まわりの描写が色々と興味深い。同じ作者の『主に泣いてます』はあまり美大っぽい空気は感じなかったけれど『かくかくしかじか』の美大絡みの描写はトップクラスのリアルさ。いかにも「経験者」「わかってる」「こういう人いた~」な描写や台詞が多すぎ。

ただ作中でも書かれているけど、あくまで「作者が受験していた時は」って事なんで『かくかくしかじか』を読んだ知識だけで美大受験を知ったか振りして語ると恥をかくかもしらんですよ。

某美大○号館

という訳で美大受験って特殊な世界だからわかりづらい面や誤解されそうな事も多そうなので解説・説明をつらつらと書いていく。これらは自分が受験していた時に美術予備校の講師から聞いた話がほとんど。

東京藝大至上主義

日高先生が「なんで芸大受けんとや!」と言ってますが、これはこの日高先生だけじゃなくて美術予備校なら当たり前の光景。日本の美大受験では東京藝大を中心に全てがまわっているといって過言ではないのだよな。

普通の大学の場合は自分の学力と照らし合わせて決める所だ。だから東大を受験生のほとんどが受けるなんて事はない。でも美大受験においては上手かろうが下手だろうが関係なく東京藝大は受けるもの。東京藝大を受験しないというだけで変人扱いされる世界だと思って間違いないです。自分も藝大受けないと講師にいったら説教されました…。

国立で学費安いし、たまたま良いものが描けて受かっちゃうかもしれない訳で受験しないほうが珍しいというかおかしいのですね。そのため記念受験みたいな人も多いとはいえ倍率もエラい事になっていて、私が受けた年の油で50倍くらいの倍率だったり…。

後は単純に「レベルの違い」ってやつ。いくら「描くのは自分だから関係ないでしょ」といっても人間って周りと較べてしまうものだから。「自分のほうが凄い」「みんなと同じくらい」「周りより劣ってる」こういう風に見てしまうものなんすよ。それで安心したり思い上がっちゃったりね…。自分を磨きたかったらやっぱり上の大学に行ったほうがいい。ムサ・多摩・造形に合格したのに藝大を受け直す人もチラホラ見ました。

現役vs浪人生

実際は現役生枠というのがあるので技術のある浪人生が有利というモンでもない。私見だが、むしろ浪人生不利な気がするぐらい。受験の採点も技術重視ではなくなった。好きで描いてりゃ嫌でも上手くなるんで入学時点での技術なんて重視しすぎてもしょうがないって理由。
人にもよるけど多浪していると新鮮さがなくなってくるし、冒険するより無難にまとめる方向になっちゃいがち。講評で注意されているうちに縮こまって自縄自縛になっちゃうんだよね。

多浪について
美大の試験ってその年の出題によって得手不得手がどうしても出てしまうので運の要素がけっこう強い。だから浪人は珍しくも何ともない。もちろん実力があればそんなの関係なしに受かるんだけど。

ただ、自分らの年代だと4浪・5浪がうじゃうじゃはいなかったぞ…3浪ぐらいまではごろごろいたんだが。大手の美術予備校だと見かけなくはないけど極く少数だったし、そういう人は完全に東京藝大一本狙いで他の大学は眼中にない感じだった。この辺は時代の景気とかその世代の子供の数とかが関係してくるんだと思う。好景気で子供が多けりゃ浪人も増えやすいのかな。

石膏デッサン

昔は有名所の美大でも石膏デッサンが受験で出題されてたらしい。石膏デッサンが出題されてたのって漠然とかなり昔の話かと思ってた。でも『かくかくしかじか』の頃がちょうど転換期みたい。今は石膏デッサンをストレートに出題するような美大はなくて、出題するとしたら総合大学や教育学部の美術科ぐらい。予備校でも石膏デッサンを描くのは基本を兼ねて最初の2ヶ月ぐらいで以降は静物デッサンのモチーフのひとつとして組込まれるぐらい。

普通にただ石膏デッサンを描くのって事前に予習?というか対策を立てられちゃうから受験のお題としては不適切なんですね。1巻の終盤(140p)で書いていたけど本当に「訓練」だし、決まりの角度とか、それらしく見える構図とかあるのも本当。同じ像を何十回も何百回も描いてれば石膏を見なくてもベストのデッサンを描けるようになっちゃうとか色々と問題があって使われなくなったそうな…。

そういうのが得意な人が絵描きとして大成するかというとそうでもない。それって「職人」としての能力なんで、大学としては「作家」になれそうな人を求めているんですわ。マンガのキャラの似顔絵を見ないで上手く描けるのと自分のマンガを描けるというのは別物みたいなモンだと思って下さいな。昨今は想定問題みたいなイメージ力を問う試験を必ず油かデッサンのどちらかに組み込んできます。

日高先生が「何時間かかっとるか~!!」とか絶叫してるのは試験時間対策ですかね。趣味の絵だったら何時間かかったっていいんだが、例えばムサ・多摩・造形のような私立の受験だとデッサン6時間・油6時間しか試験時間がない。自宅とか部活でのんびり描いてたような感覚だと油絵を6時間で描き上げるなんて無理なんで、ペース配分を体に覚えこませるために訓練するしかない。

絵を描かない美大生

ピークが受験時という人がけっこういて、合格後はあまり絵を描かなくなっちゃうのも悲しいありがちパターン。それなりにいい作品を作ろうとするとしんどいくらいに体力と精神力が要るんですよねぇ(画材代もな)。それで消耗したり病んじゃったりとか…。

他のジャンル(将棋)のマンガですけど『3月のライオン』7巻の「まっ暗な水底に潜って行くのに似てる」ってのがいちばん近いかな。このまま水上まで上がってこれなくなりそうな…そこまで追い込まんと良い評価もらえんし自分でも納得できなかったり。

2巻で夏休みの課題が描けなくてヒステリーとか合格後に絵が描けなくなったりは他人事じゃなくて身につまされますわ。いまだに講評直前なのに課題ができていない悪夢を見るからなぁ…。

その他もろもろ

金沢美大の受験で油彩の人物見た時に「多摩美じゃん!」と思った人は多そう。いや、多摩美の油彩ってこういう人物が出てたんですわ。

学科試験はほぼ関係なし(建築や一般大の美術科とかは除く)で基本0点じゃなければいいって感じ。藝大の油を受ける人はたいてい学科試験のない東京造形大学をセットで受ける。多摩美も配点的に名前を書いて0点じゃなけば関係なしなんで滑り止めに受ける人が多かったかな。武蔵美は学科ができたほうが得だけどできなくても全く問題ないとかそんな感じ。

絵の自己採点は全くアテにならないというのはその通り。というかピタっと当てられるほどの眼力があったら落ちてない。自分も最初に受験した時にデッサンは良かったけど油がダメで落ちたと思い込んでたが、後で知ったその時の採点は正反対だった。この採点を知っていたらその後の努力の方向性も違っていたのに…。

3巻5Pの「美大・芸大に行く奴…特に油絵・彫刻・日本画は皆脳内お花畑のピーターパン症候群のどうしようもない奴らの集りなんです!!!」は全くもってその通りとしかいいようがない。しかしなんですな、大学が違ったり受験の傾向は変わったりすれども入学する人間のタイプは全然変わらないという…

 
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